Kanon prelude を見ながら
昨夜寝る前に、Kanon prelude を見たりして、ふと思ったこと。
涼宮ハルヒの憂鬱に続き、京都アニメーションが送り出すこの秋注目の作品、Kanon。オープニングの気持ち悪いほどなめらかに動く映像を見ると、今回もクオリティは期待できそうです。主人公の声がまんまキョン (中の人…って言うな! は同じ) なのが笑えましたが。
しかし思ったのですが、この作品、説明するまでもなく原作はゲームです。そしてこのアニメを見たいと考える層は、ほとんど…とまでは言いませんが、過半数が原作であるゲームをプレイしているのではないでしょうか。
そこで生じる疑問。ではその視聴者は何を理由に、過程も、さらに結末までも知っている作品を見ようとするのか。
このアニメは原作が存在しているわけですから、ストーリーも当然それに沿ったものになります。そして知っての通り、京都アニメーションの手による AIR、ハルヒの両作品はきわめて原作に忠実と評価されています。なので、おそらく Kanon も同一の路線を踏襲するでしょう。
しかし、そうすると演出の違いはあっても、ストーリーに関してはゲームから何のアレンジもないということにもなってしまいます。確かに、ゲームだと並列である時間軸をどうやって、流れとして一本の道にまとめるかなどは腕の見せ所ですが、それ以上には発展の余地がないのです。原作ではこうだったけど、アニメでのストーリーの結末は違った…といったことは、できないし、視聴者もそれは許さないでしょう。その結果、作品はとことん原作に忠実となる。好意的に言えば、原作を知る人間にとっては安心して見ることができると言えます。その反面、すべてが想定内。予想外の展開はない。それって、エンターテインメント作品としては、どうなのでしょうか。
そもそも原作に忠実というのは、一歩誤ると原作を知らないと理解できないという危険性もありうるということになります。実際 AIR では展開が速すぎて、原作を知らなければとうていストーリーは理解できない、という状況が少なからず発生していました。まあ総集編をのぞくと 12 回という枠で、あの長すぎるストーリーの 100 パーセントを映像化するというのが無茶な注文ではあるのですが。
そう考えると、ゲーム原作のアニメ作品というのはきわめて特異な存在ですね…一般的な、刊行中のコミックの映像化とは違って、基本的に内容は完結している。原作の時間軸が直線ではない。視聴者の多くはアニメならではのストーリーではなく、原作の完全に忠実な映像化を求めている…などなど。
これらの点から考えると、個人的に映像としてはまずまずと思うのに、同じくゲーム原作の Fate の評価はなぜいまいちなのか、逆に (こちらは全く見たことがないけど) うたわれるものが意外に好評なのはなぜかなど、興味深いものがあります。
でもまあ、視聴者としてはエンターテインメント性とかなんて、どうでもいいことなんですよね…それがアニメになる。重要なのはその一点なのですから。そして京都アニメーションの Kanon になぜ皆が期待するのかと言えば、そのアニメ化のクオリティに定評があるから…と。実際、私がこちら側 (何) の世界に踏み込んだのも、この原作が動機だったわけで、それがあのクオリティで動くのには感慨深いものがあります。
そのようなわけで娯楽性はともかく、京都アニメーションがいかにしてあの作品を映像化してくるのかという点で私は非常に楽しみなのですが、みなさんはいかがでしょうか?
- Posted at 22:32:55 in Media
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