September 07, 2006

お疲れさま症候群

職場での挨拶の定番…「お疲れさま」。

私がアルバイトで初めて社会との接点を持ったときは、この挨拶を周囲の人々がやたらと多用するので、かなり驚いた記憶があります。

一般にご苦労様は、上司が部下に対して使う言葉で、その逆は礼儀を欠くと言われます。ところが現在の社会ではお疲れさまに関しては特に制約はなく、誰に対しても一般的に使用されるようです。

しかしこのお疲れさまという言葉、通常どのような場面で使用されるべきなのでしょうか。

まず思いつくのが、先に帰宅する人の「お先に失礼します」に対し、職場に残っている側が返す挨拶…ですが、実際には休憩中に出会ったとき、廊下ですれ違ったとき…など、ことあるごとに使われるのがお疲れさま

いつどこでも、顔を合わせれば「お疲れさま」…正直、このような挨拶に何の意味があるのか、個人的には非常に疑問を感じます。ましてやトイレで立って用を足しているときに、背後から「お疲れさま」などと言われると…。

「うるさい黙れ、おまえは声をかけなきゃ用も足せないのか!」

などと思います。トイレくらい他人に気兼ねなくさせて欲しいものです。

そして、このようなお疲れさま症候群に対し、数日前の日経新聞ではお互いの連帯感を強めるため仲間コトバなのだという記事が掲載されていました。

仲間…ねえ。

近年の社会での犯罪の増加に関し、その原因として隣人の顔も知らないような、人間関係の希薄化を指摘する見解があります。ところが一方では、株式上場で話題の mixi に代表される、コミュニティの新しい形も注目を集めています。しかし…。

仲良し、友達、大いに結構。でも、そういったコミュニティは逆に言うと、部外者を締め出し、自分たちだけで楽しもうという排他意識の産物である可能性はないのでしょうか。そして前述の「お疲れさま」も、そういった意識の延長線上にあるのなら、なんとも形容しがたい息苦しさを感じます。仲間というのは、他者を排除してまで守らねばならないほどの絶対的な存在なのでしょうか。どうにも自分には、仲間、仲間と強調する人間ほど、そのコミュニティを自分の中に取り込み、守りを固めようとしているように見えて仕方がありません。

そんな理由もあり、私は mixi のようなサービスにも参加したいと思いません。偏見かもしれませんが、mixi に集う人々には自分は招待された。だから選ばれた人間なんだという選民思想というか、優越意識を持つ部分があるように思えて、そういった考え方が私は嫌いなのです。他者を排除することに基づく連帯感でなど、友達・仲間になりたくない…と。

まあ、こんなことを書いても招待してくれる友達のいない人間のひがみとしか見えないでしょうし、そもそもこのような発言自体がアンチ多数派という多数派的行動という逆説的な連帯感に基づいている可能性も否定できないわけですが。

えーと、何の話だっけ…そんな宙ぶらりんのまま、このエントリは終わります (ひどい)。人生投げっぱなし (最低)。

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