メモリと自転車と私の記憶
夕方、少しだけ秋葉原に寄り、前から探していたメモリを発見し、即購入。そして今日は、地元のホーム センターで自転車を買いました。
以前、駅前に止めていたら盗難に遭ってしまった自転車。待てど暮らせど返ってくる気配はなく、そのままずるずる数ヶ月。しかしいい加減、駅と自宅の往復が寒い季節。特に帰宅が深夜遅いときは、なんだかとてもむなしい気分になります。そして片道 20 分以上の道のり。体力や距離的な問題はともかく、毎日だと時間も馬鹿になりません。自転車なら 10 分なのに。
というわけで、帰りに自宅の最寄り駅から 30 分もかけて、徒歩でホーム センターに行ったのですが…その途中、私が小学生の頃に毎日利用した通学路を通りました。そして、そこで私は違和感を感じました。周囲は何の変哲もない住宅地なのですが、歩いていると妙に圧迫感を感じるのです。この道路、こんなに狭かっただろうか…と。
しかし、その道は区画整備も行っていなければ、両脇に立つ家すらも私が小学生時代と変わっていません。では何が変わったのかというと…私の身長です。当時の私の視点で見れば、この道路も狭くなかったのでしょう。つまり、進級後数年たってから母校の小学校を訪れ、教室の机の前に座る感覚…あれですね。当然そうすると、小さく感じるわけです。「自分はこんな小さな机で授業を受けていたのか」って。
自宅からは数分の、以前のその通学路。同じ場所でも自分の置かれた立場の違いで、これほど感じ方が違うんだなあと、ちょっと驚いた瞬間でした。
それにしても、普段忙しい朝の 3 分は、昼の 10 分に等しい値打ちみたいな考え方の私が、その朝の 10 分の節約になる自転車を今まで買わなかったというのは、いったいどういうことなのだろう。メモリとか PC パーツを買う余裕があるのなら、早く自転車を買えばよかったのに。我ながら、どう考えても価値基準の考え方がおかしいと思いました。あと、実はこのエントリのタイトルはある本のタイトルのパロディなのですが、気づきました?
- Posted at 21:32:30 in Diary
- Comments (0) | TrackBacks (0)
